- プロフィール
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- 代表作
- 1992年「僕は知っている」、1993年「何如歌(ハヨガ)」「僕らだけの思い出」「最後の祝祭」、1994年「渤海を夢見て」「君を消そうとして」、1995年「必勝」「Come Back Home」「時代遺憾」
- 略歴
- 韓国音楽界に革命を起こしたとされ、今なお伝説のグループとして評価されている。
ロックバンド「シナウィ」の解体後、新しい音楽活動を模索していたソテジは1992年1月にヤン・ヒョンソク、イ・ジュノに会って「ソテジワアイドゥル」を結成し、1992年4月に1集「Yo!Taiji」を発表する。このアルバムはデビューアルバムでは、最多販売量の180万枚の販売高を記録した。1993年6月、2集『何如歌(ハヨガ、하여가)』を発表し、このアルバムも200万枚以上の販売を記録した。伝統音楽とラップ、ヘヴィメタルを融合した作風の表題曲『ハヨガ』が大ヒットした。このアルバムの発売後、一時期日本において活動。1994年8月、3集『渤海を夢見て(パレルル・クムクミョ、발해를 꿈꾸며)』を発表し、これ以降ダンスミュージックからロックへとスタイルを変えた。1995年10月、反体制を歌う「ギャングスターラップ」というジャンルを韓国で初めて紹介した4集『come back home』を発表した。 1996年1月、すでにカリスマ的地位を確立し人気絶頂であったが、突然グループの解体と引退を宣言した。
ソ・テジは引退後、1998年7月にソロアーティストとして復帰、残るヤン・ヒョンソクとイ・ジュノは音楽プロデューサー業へ転向し、成功を収めている。
「ソテジワアイドゥル」の登場以来、韓国音楽界は多くの変化を経た。「ソテジワアイドゥル」が登場する前は、バラードやトロットなどが韓国大衆音楽界の主流であったが、「ソテジワアイドゥル」の後にラップ音楽が加味されたダンス音楽が歌謡界を掌握するようになった。したがって韓国歌謡界は、明確にに「ソテジワアイドゥル」が登場した1992年4月11日を起点として区別することができる。
4集『come back home』を発表したとき、このアルバムに収録された『時代遺憾(シデユガム、시대유감)』が歌詞検閲制度より不適当と判断されると、アルバムから歌詞を一切削除し発売した。結局、この事件がアルバム事前審議規制廃止運動に大きな助けを与え、現在、事前審議制度は廃止された。
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